自己紹介

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自己紹介します。写真の田植え中のワタクシは、今より若いっす。昔はワタクシも20代。
昔を思い出しながら日記風に書いてみました。長いからご注意を。飽きたらすんません〜。

生年月日
8月16日にデビュー。
お盆真っ最中に生まれたもんで、小学校の時は友達を招待して

お誕生日会みたいなものはやってもらったことがない。
みんな田舎に帰ってるから。

 

幼稚園時代
地元・千里丘にある三島幼稚園に通ってた。
お泊まり保育の時に出てきたピンク色のソーセージを食べる事

が出来なくて、幼稚園の階段のところに隠す。が、見事に見つ
かって、すみれ組の先生に叱られる。

 

小学校時代
地元・茨木市立天王小学校。丸坊主の6年間。
別に学校の方針で丸坊主にしていた訳でもない。角本家の男は
みんな丸坊主。(ワタクシは2枚刈り、弟は1枚刈。)

3年の時に、今まで経験したことのない大事件に襲われる。
初恋だ。なんでか分からんけど、好きになってた。
そんなある日、社会見学で男子と女子が背の順で2列に並び、そ
れも手を繋いで歩かなくてはならない事に。
非常に偶然ながら、ワタクシの横には初恋の相手が。
クソガキにも関わらずドキドキし、手を繋ぐ事が出来ず、指切りげん
まん状態で社会見学。30歳を越えた今でも鮮明に覚えてる。
この頃からヘタレ人生の始まり。

何故か分からないが、4年生の時に書道教室に通う事が友達の
間で流行った。その流行りに逆らうことなく書道教室に3年間通う。

書道教室に通い出した頃、これも意味が分からないのだが学年で
切手収集が流行る。流行に敏感なワタクシとしては素直に切手収
集を始める。しかし数ヶ月で終了。

クラブ活動が4年生から始まった。
入ったクラブは、「水泳・縄跳びクラブ」。訳が分からない。
夏は水泳、冬は縄跳びといったところ。

同じく4年生の時、親父に無理矢理スイミングスクールに入れられ
た。記憶にない幼少の頃、川崎病という原因不明の心臓の病気に
かかったらしく、「強くなれ」ということで水泳を習わされたんだと思
う。おかげさまで水泳が好きになった。4泳法泳げるように。

サッカー教室にも入る。左利きというだけで、準レギュラーになる。
たまたま左利きの人間がいなかったようだ。
大して上達することなく、サッカー人生終了。

学年で持久走の大会があった。
ツレに「一緒に走ろうぜ」と言う。よくあるパターン。
しかし、どうもツレが遅すぎるのか自分に余裕があるのか、思いっ
きり走ってみたくなったのでダッシュ。すると、前には2人の男子が
いるだけ。3位に入ってしまった。
その頃ちょっぴり好きやった女子に「やるなぁ!」と言われ、照れま
くり。バカなワタクシは、その時から早起きしてジョギングを始める。
しかし、すぐにあきらめる。

6年生の時、連合水泳大会というものがあった。
いくつかの学校が集まって開催される水泳大会。
試合が終わり、入賞者の成績発表の時に何故かワタクシの名前が
呼ばれた。学年では大して目立つ存在でもなかったワタクシの名前
が呼ばれた事が学年ではどうも不思議だったらしい。
50mクロールで3位だった。タイムは非常に平凡。

 

中学校時代


地元・茨木市立天王中学校。まだまだ丸坊主健在。

水泳部に入る。
小学校時代にタイムを争っていた友達と一緒に入部。入部した頃は
友達に勝ってたのに、入部してあっという間にベストタイムで負けて
しまった。とんでもなくくやしくて、とんでもなく練習したことを覚えて
る。勝つことは出来なかったけど。

中学の時の記憶は、ほとんど水泳だけ。
彼女が出来た訳でもなく、勉強が出来たわけでもなく。

3年の時に、カドモト家の方針に逆らい、丸坊主をやめてスポーツ刈り
にする。親父に黙って、自分の判断でやった。

その日の晩、親父に呼ばれる。
そしてひとこと。

「お父さんは悲しい。」

勝手に丸坊主をやめてスポーツ刈りにしたことが悲しかったのか。
その頃から反抗期突入。

高校進学の時期。五木の模擬テストを受けまくる。
志望校は、最後まで判定D。その次に行きたかった高校はC。

親父と進路についての話し合い。
公立高校での志望校はCとかDだったので、「私立に行きたい」と
懇願。最後には「行っても構わない」と言われるが条件があった。
「関関同立に現役で入りなさい」と。
関関同立がどんなものか分からないまま、高校に行かせてくれると
いうことだけで「分かった」と了解してしまった。

 

高校時代


私立関西大倉高校入学。男子校。
体育館での入学式で、館内が学ランで真っ黒になっているのに驚く。
男子校だから当たり前なんやけど。

入学して、いきなりK先生から呼び出される。
その先生はハンドボール部の顧問で、入学式の時にワタクシがハンド
ボール部の勧誘名簿に自分の名前を書いたらしい。覚えてないけど。

それで、「おいおまえ、入部する気あるのか」と言われたが、入る気が
なかったので恐る恐る断った。
でもその時の先生が、今では一番好きな先生だ。

入学して「水泳部に入ろう」と思っていたのだが、学校にプールがない
事が発覚。よって水泳部に入る夢は絶たれる。

2年の時、今では腐れ縁のツレと出会う。
「俺ら、クラブもしてへんやろ。このままやったら全然面白くない高校
人生やぞ。折角の高校生活楽しまないか?」との誘いに「分かった」と。

「ここに行こ」と誘われたのは「学園祭実行委員」というもの。
言われるままに入ったものの、どうも自分には合わない雰囲気だった
が、ツレがいることの安心感から思いっきりやってみることにした。

その実行委員というのは、生徒会のひとつだったらしく、3年になって
生徒会の副会長になってしまう。

「楽しもう!」ということで、結構無茶な事もした。
毎年学校のグラウンドでやってた体育祭。
それを思い切って、今やガンバ大阪の本拠地である万博競技場を
借りて大々的にさせて頂いた。もちろんそれぞれの種目の記録は
電光掲示板に表示されるようにもした。
学園祭でも無茶をしたと思う。
芸能人を呼んだり、爆笑で有名な関大プロレスを呼んだり。
学内にミニFM局を作って、生徒会の同級生がDJとなって喋りまくった。
「予算があまりない!」という時は、学園祭パンフレット内に広告欄を
作って、予備校に営業に行って広告を載せてもらった事もあった。

生徒会の顧問の先生は、よく怒られていたと耳にした事がある。
それでもやりたいことをさせてくれた顧問の先生には本当に心から感謝。

進路を決めないといけない時期になったが、勉強なんぞしていなかった
ワタクシは大変なことになる。学園祭実行委員にワタクシを誘ったツレ
も同様。

その頃思い出したのが、親父との約束。「関関同立に現役で」。
模試の結果はさんざん。2浪しても3浪しても入れない。
親父とのケンカ勃発。

そんなこんながありながら、学内でツレと共に学校推薦を受ける事に
なった。腐れ縁のツレとは大学まで同じになる。

運が良かったんやろう。大学から合格通知が届き、晴れて大学生に。

 

大学時代


京都・立命館大学入学。晴れて大学生。
ウキウキしながら阪急電車に乗って学校に通う。
大学時代の思い出はとんでもなく多すぎてここには書ききれない。

大学に行って得た大きな財産は友人。
今でも繋がっている友達がホントに多い。
会う事はさすがに少なくなったが、ツレの結婚式とかで会っても「まだ
俺らは大学生やで!」ってな感じで全くみんな変わらない事が嬉しい。

学生の間はずっとバイトしてた。小学4年生の時に習い始めたスイミン
グスクールでずっとバイト。子供達と一緒に泳いでた。
この時、子供が大好きになった。

飲みに行った事もほとんどなく、クラス合宿やゼミ合宿でちょびっとお酒
を飲んだ程度。カラオケで歌を歌うなんぞ、ヘタレのワタクシにはありえ
ない!だからいつも1次会で帰ってた。今から考えたらオモロない奴かも。

単車の免許をとり、400ccの単車を中古で買う。
しかし半年で盗まれてしまう。
単車欲しい病に毎日襲われ、バイトにあけくれる日々。
そんな時急に「次に買うバイクは、どうせなら大型バイクがいい」と訳の
分からない事を考えてしまい、試験場に通う日々。
8回目にて限定解除の試験に合格し、バイトで貯めたお金を全てバイク
に注ぎ込み、900ccのバイクを購入。乗りまくった。

しかし、購入後1週間で立ちゴケ。1ヶ月後にはクラッシュ!・・・廃車。

再びバイトに明け暮れ、クラッシュして10ヶ月後に1100ccの単車を買った。
大事に大事に乗ってたんやけど、ツレが中古で買った車を借りて山道を
走っていた時に壁に激突!

「車両保険入ってる?」「いや、入ってない」「・・・。」

ということでツレの車の修理代を捻出するべく最愛の単車を売りに出す。
ここで単車人生終了。

2回生の時、見事にパチンコにハマる。
66単位を登録したにも関わらず、取得した単位は22単位。バカ丸出し。

3回生になり、そろそろ就職活動!という時に親父が逝く。

えらいこっちゃ!とばかりに店の手伝い。学校はほったらかし。
っていうか、酒の配達に明け暮れる毎日やったので学校にも行けない。
かどやに就職決定!

「大学辞めるわ」と言ったのに、母親が「それはあかん」と。

ゼミの先生に事情を話したら、「卒論だけはちゃんと出しなさい」と言われ、
なんとか卒論が完成し、要卒単位をクリア!卒業!
くされ縁のツレと、最後のひと旗をあげるべく、卒業式の時に紋付きハカマ
で出席。爆笑の嵐。

ちょうどその頃、親父は店を酒屋からコンビニに改装中。
後戻りも出来ず、コンビニオープン!

 

コンビニ時代


多くのバイト君やパートさんに囲まれて、とても楽しい毎日。
年中無休ということで一泊旅行なんぞありえない状態だったけど。
夜中1時に閉店してたコンビニやったんで、営業終了してからバイト君
達とよく遊びにいった。

単車人生が終わって、次は4輪に見事にハマッた。
よくあるパターン。

貯金でドーンと三菱のランサーエボリューションVを買う。
買った翌日には1000キロの慣らし運転終了。
めちゃめちゃ面白い車。
土曜の夜になると、先輩とブンブン走ってた。
本当はイカン事なんやけども、車のメーターでは足らない程の速度で
高速をぶっ飛ばしてた。ゼロヨンもした。サーキットでも走った。今から
考えると、若かった・・・。
車を速くしたいが為だけに、どんどんチューニングして貯金はどんどん
減っていく・・。ガソリン代もシャレならん。

まぁそれからというもの、事故に事故を繰り返す。ケガは無し。

そんな経験も、今ではエエ思い出。
今は「走ればエエ。壊れさえしなければ」といった感じ。
今乗ってる車なんか、バンパーにクモの巣がある始末。

話は変わって・・・。

ある時に日本酒に目覚める。
日本酒は美味しくないと思ってたし、飲んで美味しいと思った事もなか
ったんやけど、お客さんにもらった1本の純米吟醸酒を口にした時に
全身鳥肌がたった。

そこからハマる。完全にハマった。酒造りもしてみたかったので、地元の
蔵元さんにお願いして、酒造りの勉強もさせてもらった。
もっともっと勉強したかったから、利き酒師の資格も取ってみた。
いろんな酒蔵さんに行ってみたくなったから、時間があれば酒蔵を探し
て造り手の人達と会って話をした。

そうすることを続けていくうちに、酒屋がしたくなってきた。

日本酒の世界が面白くなって来た時に、ある1冊の本に出会う。
「町の酒屋」という本。
酒屋の素晴らしさ、日本酒の素晴らしさ。「人と人の繋がり」の大切さ。
「町の酒屋」という1冊の本との出会いから実際に様々な人と出会う事
が出来、「酒屋をしよう」という決心をすることができた。

 

酒屋


様々な人と出会う事が出来、その方々のご縁で信頼出来る素敵な蔵元
さんとも出会う事が出来た。その、信頼出来る素敵な蔵元さんが造って
くださったお酒がきっかけで、本当に多くの人達と出会う事が出来た。
そして今も多くの方とお店で出会えるのが嬉しくて嬉しくて。

人間、ひとりでは何もできないんやなーということを凄く実感しています。
皆さんのおかげです。ワタクシはこれから一生酒屋です。
酒屋でいようと思ってます。酒屋であり続けたい。

 

今ハマってること


●店先の掃除。掃除したら気持ち良い。
  吸い殻が道に落ちてると、腹がたってしゃぁない。

  今まで道にポイ捨てしていた自分が恥ずかしく思える。
●ジーンズ。お金がかかりすぎて困っている。

 

血液型と星座


A型の獅子座。学生の頃は暇になると献血に行ってた。
理由は、献血ルームに綺麗な人がいたから。(こんなんばっかりかい!)

自分の事。


ヘタレ満開。根性なし。クールでダンディーでありたい。(ウソです)

まぁ、こんなとこですわ。

大阪酒屋 かどや酒店 大黒正宗・会津娘・池月・いも麹芋・薩摩国分・豊永蔵・赤鹿毛・青鹿毛・金峰 荒濾過・黒糖 朝日・壱乃醸・飛乃流・魔王・ガンバ大阪  大阪酒屋 かどや酒店 大黒正宗・会津娘・池月・いも麹芋・薩摩国分・豊永蔵・赤鹿毛・青鹿毛・金峰 荒濾過・黒糖 朝日・壱乃醸・飛乃流・魔王・ガンバ大阪   k-012.jpg (7403 バイト)
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